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Text File  |  1994-11-16  |  2KB  |  34 lines

  1. 437/440   WST00364  和田 光平         文をやるにも書く手は持たぬ(江戸)
  2. ( 8)   94/01/29 11:14
  3.  
  4.   文をやるにも書く手は持たぬ(江戸)
  5.  
  6.  「文はやりたし書く手は持たぬ」は新しい表現です.カルタになった方よりあか抜け
  7. しています.苦海に身を沈めた遊女の様子を歌ったものです.私はカルタの方が素朴で
  8. 戸惑いがあり,文を出したい気持ちが,より強く感じられ好感が持てます.
  9.  昭和40年頃流行った森山良子のフォークソンを思い出します.
  10. 「この広い 野原一杯 咲く花を ひとつ残らず 貴方にあげる 赤いリボンの 花束
  11. にして」.この歌は,2番,3番と次第にあげるものの範囲が拡大して行きます.
  12. そして最後はこうでした.
  13. 「この広い世界中の 何もかも ひとつ残らず 貴方にあげる だから 私に 手紙を
  14. 書いて 手紙を書いて」
  15.  じーんとする,歌詞でした.そんな気持ちを忘れて久しいのですが,文は,何時,
  16. 何方から頂いても嬉しいものです.
  17.  もはや,字の書けない女性は稀になりましたが,江戸のころはそれこそ,普通にいた
  18. のでしょう.弟を育てるために,姉を売って少しでも食べ物の足しにしなければなら
  19. なかった農村の悲惨さ.教育どころでは無かったようです.
  20.  普通の農村,漁村の娘さんでも字が読める人は少なかったようです.そこで,代書屋
  21. さんが,営業していました.
  22.  色々批判もありますが,日本に於ける義務教育の成果は目ざましいものです.
  23.  江戸の戯作者,山東京伝たちの本職は遊女の手紙を代書してやることでした.彼の
  24. 住居は吉原の真ん中でした.蔦屋もかつては吉原の入口で書店を経営していました.
  25.  蕪村の友人だった,炭太祇は,その名のように京都祇園の真ん中に住んでいました.
  26. 彼の職業も恋文の代書でした.古くは占部兼好も恋文や,訴訟書きが本職でした.そう
  27. した行為を通して,徒然草の素材が集まったとの話を読んだことがあります.
  28.  文人,墨客の類は,教育水準の低さに支えられて生活していた分けです.
  29.  堀辰雄の小説「ほととぎす」に手紙を巡る叙情溢れる描写があります.この物語は
  30. 少将道綱の母とだけ,今日伝えられる女性の「かげろふの日記」の続編という設定で
  31. 創作されていました.最後に,惜しむは君が名と書いて,線で消してある部分を主人公
  32. が認めるシーンが印象的でした.
  33.                            東海支社)和田 光平
  34.